【徳島市】徳島城博物館 「蜂須賀時代絵巻」開催!徳島の歴史と文化を楽しむ春のイベント






【徳島市立徳島城博物館】
平成4年10月、徳島藩と藩主蜂須賀家の歴史・美術工芸資料を収集し展示する博物館として開館。徳島城博物館の名称は、蜂須賀家の居館であった徳島城跡地に建設されたことに因む。江戸時代の御殿をイメージした書院造り風の建物。
常設展では、江戸時代末期の安政4年(1857)に建造された徳島藩御召(おめし)鯨(くじら)船(ぶね)千(せん)山(ざん)丸(まる)(国指定重要文化財)や縮尺50分の1の「徳島城御殿復元模型」の他、常設第2展示室「大名のくらしと文化」では、大名蜂須賀家の美術工芸資料を常に鑑賞することができる。1年間に6回の展覧会に加えて、各種イベントを行っている。詳しくは下記へ。
ホームページ:https://www.city.tokushima.tokushima.jp/johaku/
【徳島藩主蜂須賀家】
尾張国海東郡蜂須賀村(愛知県あま市)の豪族。正勝が織田信長、豊臣秀吉に仕え、天正9年(1581)播磨国龍野城主で5万3千石の大名となった。正勝の子、家政も秀吉に仕え、天正13年(1585)の四国攻めの後、阿波国で17万5700石の大名。慶長5年(1600)の関ケ原合戦では、当主家政は隠居、嫡子至鎮が義父徳川家康に従い参陣し、戦後、阿波国の領有を認められた。慶長20年(1615)、大坂の陣の功績により淡路国を与えられた。これにより、蜂須賀家は、阿波・淡路両国25万7千石と四国最大の大名になった。
最後の藩主、14代茂韶(もちあき)は、明治期、外交官・政治家・企業家として活躍し、東京府知事、貴族院議長などを務めた他、渋沢栄一とともに企業の設立に尽力した。
【徳島城】
天正13年(1585)に阿波国の大名となった蜂須賀家政が、居城として築造。城地選定は豊臣秀吉。翌年、天正14年に完成した。
石垣は阿波産の青石(緑色片岩)で、総青石の城郭は、全国で徳島城だけ。
徳島城は標高約60mの城山に本丸、東西二の丸、西三の丸を置き、南麓に御殿、西麓に西の丸を置いた。御殿の東側には堀を設け、北側の助任川、南側の寺島川を堀に用いて守りを固めた。
江戸時代、大名蜂須賀家の居館、政庁に利用された徳島城は、明治時代とともに役目を終え解体された。徳島城のシンボルとして残された鷲の門は、昭和20年7月の空襲で焼失した。平成元年に篤志家の寄付により復元
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